久しぶりのブログです。毎日あわただしく過ぎているのは私だけではないと思いますが・・・
光陽のみの勤務になってから・・・楽になったと思われているんではないか?と私ひそかに思っています(笑)確かに朝の出かける時間ではかなり助かってはいます。わが子にも「早く早く・・・」がなくなっただけちょっとは「ごめん」っと思わずにいられます。3年以上「早く早く・・・」を毎朝続け夜は「ごめん」を続けてきたのですが・・・実際夜のごめんはあんまり変わってないかな??
光陽だけの勤務になったらなったで、なんちゃって事務局長ですから、お金のことや書類のことわからないことだらけで、しかも教えてくれる人はいないわけで・・・結構凹んでいました。いやいや・・・かなり自信消失でした(笑)
会長からは厳しい言葉しかいただけず・・・出来ないことに正直つぶれそうなことも・・・
そんな時、昔の同僚だったり同級生なんかと昔はこんなんだったよね~、よくやってきたよね~っと話したりしました。私がまだ若いころは、マニュアルなんかない時代。先輩や上司が丁寧に教えてくれることもなかった。見て学べ。の時代。
今から20年以上前の初めての夜勤。当時は30人以上を宿直体制で1人で朝を迎えなければならない。早番が来るまでにやっておかなければいけないことはたくさんある。自分と利用者との関係で、先輩のように利用者は動かない。でも、やっておかなければ「できない」と思われるって必死だった。だから、自分がどう動くか?何からやるか?等必死に考えた。
やっとで朝を迎え早番で来る上司に、「こんな手でご飯を食べさせるのか?」と叱られた。指が汚れているに気付かなかった。次回の宿直時には、食堂に行く前は1人ひとりの利用者の指を確認した。先輩がやっていることを新人の自分ができるようになるまでには叱られて叱られて・・・必死に考えてやってきた。出来るようになると更に完璧にやっていく方法を見つけていった。自己満足かもしれないけれどそうして1日1日自身を成長させてきた。昔の同僚と話した時に、上司に「これできる?」って言われた時に「できないってことは自分たちにはなかったよな」って話した。本当にそうだった。こうしないと子供たちにはよくならない・・・て無謀であっても利用者にとってを大優先で考えてきた。間違っていることだったのかもしれなと今になって思うが、当時はやる!!これしかない!!で過ぎてきた。これも自己満足だったかもしれない・・・でも、それが出来た。
今は自分がやるという立場でなくなった私。そして同僚。昔は楽しかったよな。としんみり。
皆が上に立つ立場での葛藤。自分たちがしてきたことはやるべきことだったかもしれないが、今は虐待とか個人情報とかいろんなことが絡み合って昔のようにただ必死ということでは済まない時代。若い職員に自身の経験を伝えても今は無理に違いない。時代の変化に時代遅れを感じながら今いる私。
思いがあれば、思いが一緒ならやり方が違っても誰も何も言わなかった。これがダメ、あれがダメって誰も・・・上司からいつも確認されたのは、やりたい事は何や?行き着くところはどこや?だけ。答えると「わかった。思うようにやってみろ」と言われた。少々強引かもしれないがやってみよう!!少々厳しいかもしれないがやれるところまでやってみよう!!って考えて進んできた。古田統括とは同じ時期を過ごしてきた。最近はよく振り返る。「昔の自分らはすごかったよね~」って(笑)だってかなりギリギリのこともやってきた。それは古田統括も私も自負している(笑)
保護者の方との関係にはかなり神経を使ってきた。だって子供のためにやりたことをやろうと思っても子供の親である人に理解されてないなんて何にもできないから。だからまず自分を知ってもらう。いいところも悪いところも全部開けっぴろげ~で。
そこでこんな私でも理解して信頼してくれる保護者がいてその子供に対して目いっぱいのことをした。その結果が保護者との信頼関係となりそこから広がっていった。ただ1人でもいい。私を信頼してくれる人がいるならその人のために頑張ろうって。
今の私は上司になる。自分が何かをやるのではなくやらせる。やってもらう。という立場。不完全な人間の私では見本にもならない。手本にもならない。って会長からは言われる。この時の態度はどうや、この時にこういうのは誰が偉いんやって(笑)
いい見本やないか?会長からしたら私はダメダメ人間かもしれないけど・・・そうならない。あんな上司には、局長にはならないっていう見本やないか?って最近よく思う。私は私。生かすも殺すも自身と環境と何??(笑)すべてを意識してやっているわけでもないし、意識してないわけでもない。意識してやってことに対しての評価や注意は受ける。説教はいらない。いかんことに対しての注意と説教は違う。私が1番嫌いだった上司は説教が好きだった。20代の私は長々、ねちねちと説教をいうこのN主任が嫌いだった。「あんな上司にはならんとこう」毎度説教されるたびに思った。好きな上司は優しいとかでもなく、叱るときはめちゃくちゃ恐ろしいぐらい叱ったけれどその場でおしまい。後には引かない。もちろん私や仲間は叱られたわけだから後にはかなり引く(笑)
でもその上司はまったくお構いなしでジョーダンを言って私たちに絡んでくる。当時は、「なんなんやー」と思っていたが、今になって引いている私たちに対して「まったくお構いなし」だったのではなく、お構いしていたからこそ・・・引いていて当たり前としてその態度をさらに注意してりするのではなく、切りかえること。ここは仕事。これも仕事。って教えてくれたんだろうなっと知る。いかんことはいかん。でも仕事は楽しく!!育成とは説教ではなく、叱り、導き。私はきついとよく言われる。きついかもしれない。でも日々一緒に過ごす中できついだけしか見られないなら・・・だが、決してそうではないはず。どう見られているか?を意識するより、どう感じてもらえるかに意識していきたい。1人の人間として知ってくれていたらそれが信頼関係。怒られるけど、いつも気にしてもらえるとか、少しの変化にすぐに気づいてもらえるとか・・・人が人を信頼する時ってその人しかわからないもの、感じること、感謝すること、いろいろ違う。他の人がこんな人って思っても1人がこの人はこんなとこがあるよって。万人に通用する信頼よりも厚く確実な信頼のほうがいいかな。この人なら・・・っていうものは相手が感じること。自分がどれだけ意識しても完璧なんてないし(笑)人によってはわざとらしいって(笑)感じられる人だっている・・・だったらそこに意識をするより、いかんことはいかん。だけ。そこで、相手にも思いや考えがあるから・・・わかってもらいたことが伝わればその以上は別にいいかな。いかんけど、ここは間違いないよって思ったらそこの信頼。またきっと積み重ねられる機会はある。いつもそのまま、本音でいきたい。私は。もちろん言い方は嫌みになったりしないようには気をつけなといけないし・・・
若い職員には思いをもってもらいたい。光陽の職員にはどんな時も思いがあってほしい。
その思いなしで子供のためなんてない。その思いは時に突っ走りになったり、時にまちがったりするかもしれない。そんな時に昔の私の上司のように「行き着くところはどこ?」「なにしたいの?」って聞きながら確認と軌道修正をしていけたら・・・と思う。
自己満足かもしれないけれど自己満足は大事だと最近はよく思う。
そうして自信をつけていってもらいたい。失敗歓迎、突っ走り、暴言歓迎・・・(笑)そこには子供たちのためにいいていうことがあって当たり前!!の職場になっていきたい。
私もついでになくした自信を取り戻し今日も頑張ったって1日が終われるようにしていきたい。
自己満足大歓迎~(笑)職員全員が今日はめちゃくちゃ頑張ったって職場を出られるように。そんな1日を与えらえる職場に。
自己満足に進化をさせていきたい・・・